アドラー(個人心理学)の勇気

 エジプトでは100年ぶりの積雪、東京も今日は雪で大変らしですね。ここ沖縄では私は半袖で過ごしています。
 さて、以前、アドラーの個人心理学を勉強していると違和感を感じました。まずはこの「個人心理学」という訳。あるラジオ番組にお呼ばれしたのですが、パーソナリティーの方に「自分のことばかり優先にする心理学?」と聞かれたことがあります。この「個人」というのは如何かなと今でも思います。元々はindividual psychologyなのですが、このindividualの意味に個人という意味があることから個人心理学となっています。しかし、individualの他の意味「分けることができない」という意味ついた名前なので、個人ではなく「非分離」とか「全体性」とこが良かったのかもしれません。
 もう一つ違和感があるのが「勇気」という言葉。「嫌われる勇気」が流行りましたが、この「勇気」がピンとこないですね。「不安なのは勇気が削がれているからだ」みたいな感じで使われているのですが、自分にとって何か違和感を感じてしまうんです。要するにこの言葉の意味は、ポジティブになれない状態が「勇気を削がれている」ということなんですが、なんだか、訳がズレている感じがするんですよね。この辺は啓発本の雰囲気がそうさせているのかもしれませんね。

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